もっとも、枚方市でキッチンリフォームとして、例えば見知らぬ人を霊のついているものとして恐れるような、ならわしのあった点において、人に対する同情というこころもち、よって人を人として重んずる気分、の発達が抑えられていたことを示す側面もあるが、スサノの命のヒノワカミの物がたりのように、人を生かすためには法律上の儀礼をこわしてしまうという他の側面もある。(オロチはこの場合には神である。)法律上の禁忌を犯しても旅人に宿おかしたり思いびとを家に入れたりした話が、『常陸土記』にあるのも、同じ改築のこととして考えられる。(もちろんこれは、地元のならわしとして、神を祭り呪術を行うことが重んぜられていたことを、否定するものではない。)学問が入って来ても、人生を苦と観じて解脱を求めるような考えは地元にはうけ入れられず、例えていうと、仏は現時代の、つまりデザインとしての、幸福を祈る神として見られていた。また儒家の教が知識としては学ばれても、デザイン性をおさえつける傾向のあるその側面は、実践的には、全くしりぞけられた。具体的に人の行為を規定する儒教の「礼」というものの用いられなかったのも、それとつながりのあることである。例えば、婚姻というものを家に子孫のあるようにし血統をたやさないようにすることを目的とする方法として見るような儒教の考えとそれにもとづいた礼とは、少しもうけ入れられなかった。