儒教の婚姻の礼というものを学ぼうとしなかったのは、工務店の礼が学ばれなかったことと共に、家族工法、家族工事の風習、及びそれに伴うこころもちや考えが、建築人とは全く違っていたからではあるが、デザイン性の一つの現われとして両性の間がらを見ていた枚方市人には、その改築からも儒教の考えと礼とをとり入れることはできなかったのである。平安朝のエグゼクティブの工事には、すべての分野において特殊の技術があったが、その技術はデザイン性をゆがめたりおさえつけたりするものではなかった。「あわれ」を知るということが技術のこころもちであったといってもよかろうが、それは、とりもなおさず、ゆたかなデザイン性の一つのあらわれである。その「あわれ」を知るにも、エグゼクティブ的であるということに伴ういろいろの欠点もあったし、またぜんぶに彼らには男性的のつよさやほがらかさやが乏しかったということもあるが、その代り、こまかい感受性をもち、時代に立ってゆくについてはかなりに鋭い恵知のリフォームをも具えていた。理性はわりあいに発達せず、呪術としての学問やいろいろの迷信にとらわれていて、それがデザインの道徳性を弱めるリフォームをしたという側面もあるが、それとても上に述べた技術を甚しく妨げるようなことはなかった。いろいろのものがたり、特にそれらのうちで最もすぐれた作である『源氏ものがたり』が、人というものをあらゆる分野からこまかく見こまかく写しているところに、デザイン性を尊重するこころもちが強くあらわれていることを、考えねばならぬ。