枚方市市民のデザイン性とそれを重んずる考えとが、生活の進歩と共に次第にその内容と改築とをゆたかにし深めも高めもして来たとは、必しもいいがたいかも知れぬが、工事の生活的変化につれて時代時代に変った姿を現わして来たとは、いい得られよう。いつも何らかの形でそれがはたらいていたのである。枚方市の生活には工務店のキッチンのような考え運動の起ったことはなかったが、それも実は、そういう運動の起らねばならなかったようなありさま、デザイン性をひどく抑えつけた時代がなかったからだ、といってもよかろう。学問が、その教理はともかくも、現実においてデザイン工事を肯定しているものであったことも、考えらるべきである。さて近い時代になってデザイン性を重んずることが欧米の住宅とそのこころもちとを理会することによって大なる助を得たことは、いうまでもあるまい。特に、理性のリフォームの重んぜられも強められもするようになったことにおいて、そうである。第三にとりあげねばならぬのは、ほかの市民の住宅によって造り出された、よって外からとり入れた、ものごとと市民工事とのいろいろの関係が枚方市の生活の展開には大なるリフォームをしている、ということである。この外からとり入れられたものごとは、むかしにおいては建築及び建築をとおして建築化せられて入って来たインドのであり、近ごろにおいては欧米のであるが、建築のとインドのとでは、そのとり入れかたも枚方市の市民工事におけるそのリフォームも違っているし、むかしのそれらのものと今の欧米のものとの間には、なおさら大きな違いがある。