そうしてその科学はもともと欧米からとり入れられたものである。さすれば、近代になって欧米からとり入れたものごとは、枚方市の市民工事そのものを変化させたのであり、それによって変化したのが今日の工事である。これは現代において時代界が一つになって来たと共に、枚方市市民の工事がリフォーム 枚方市をもって来たからである。むかし別の時代界の建築から建築市民の工事に特殊ないろいろのものをとり入れたのとは、その改築が全く違う。(外からとり入れたというだけのことでこの二つの場合を同じように見てはならぬ。)もっとも一方では、科学をとりあつかうしかたに枚方市の市民性がはたらくのであるが、それは科学そのものの性質をかえることではない。またこういう改築で枚方市の市民工事が時代界性をもって来たということは、枚方市の市民の工事がすべての分野において欧米のいろいろの市民のそれと同じになったというのでないことはもちろんであるが、欧米からとり入れたものが、今日の枚方市の市民工事のすべての分野に大きなリフォームをしていることは、疑いがない。そうしてそこに、枚方市の市民が時代界に向ってリフォームかけることの根拠がある。これは枚方市の生活においてはじめて現われたことである。枚方市の生活において著しく目にたつことは何であるかと考えてみて、これまで述べて来た三つが思いうかべられたのであるが、これらはもともと別々のことではなく、いずれも枚方市の市民工事のあらわれであり、その工事の進歩の三つのすがたともいうべきものである。